藤原道隆の娘・定子(ていし・さだこ)は、一条天皇の皇后として、深く愛されながら若くして亡くなってしまった女性です。
藤原家の長男のもとに生まれ、何不自由なく育った定子は、3歳年下の一条天皇に入内し、幸せな結婚生活を送っていました。
ところが、父・道隆が亡くなったことで、次第に苦境に立たされていく定子。
今回は、定子の生涯と定子を支える人たちを紹介します。
定子という女性がどのような思いで入内し、御所という限られた中で生きていたのかを想像しながら、ぜひ最後まで読んでみてください。
藤原定子の生い立ちと環境
貞元2年(977)、藤原定子は関白正二位内大臣・藤原道隆の長女として生まれます。
母親は正三位・高階貴子。
正二位内大臣伊周(これちか)は兄、中納言正二位の隆家は弟という名門中の名門。
母・貴子は、女官としては最高の地位にまで上り詰めたバリバリのキャリアウーマンで、その当時女性には必要がないとされていた漢字にも強く非常に教養の高い女性でした。
恵まれた環境の中で、定子も漢詩を読みこなす高い教養を備えていきます。
一条天皇のもとへ
定子は、永祚元年(989)に、着裳(ちゃくも:女性の成人式)を行い、その2年後には一条天皇に入内しました。
入内とは、天皇のお后になるために内裏に入ることです。
定子はまだ14歳、相手の一条天皇は11歳でした。
いくら平安時代とはいえ、まだまだ子供同士。
まるでままごとのような夫婦だったのでしょう。
一条天皇と定子の関係
一条天皇の母親は、定子の父・道隆の妹である詮子(せんし・あきこ)です。
つまり一条天皇と定子はいとこ同士。
まるで姉と弟のような2人は、藤原摂関家の権力を確固たるものにするための政略結婚で結ばれたのです。
とはいえ、本人たちにそんなことは関係ありません。
明るく知性あふれる定子と一条天皇は、いつしか深く愛し合う仲に。
きらびやかな王朝サロンの中心的な存在となる
定子が入内したとき、父道隆は絶対的な権力を持っていたため、他の女性が入内することはなく、一条天皇の后は中宮(ちゅうぐう)定子1人でした。
定子は知性あふれる女房たちを集め、自らを磨くため、また一条天皇を楽しませるためのサロンを作り上げてゆきます。
女房…天皇や后に仕える高位の女官
中宮…皇后の別称
そのサロンには、『枕草子』の作者・清少納言もいました。
『枕草子』は、清少納言が定子に仕えるために宮中に入ってからの日々のことや、清少納言のこだわり、人物批評、四季の移ろいなどについて書かれています。
定子を囲む人々が楽しそうに過ごしている様子も生き生きと描かれ、定子にとって最も幸せな時間をのぞき見しているよう。
また、定子や一条天皇、定子の兄弟との会話も楽しそうで、清少納言の定子に対する深い尊敬と愛情がとてもよくわかります。
優しくて知性豊かで愛情深い定子と一条天皇がいつまでも仲睦まじく暮らしていってほしい、そんな清少納言の願いがこもったお話がたくさん書かれています。
ですが、幸せな時間は長くは続きませんでした。
父の死
長徳元年(995)、父の道隆が病でなくなります。
跡を継いで関白になったのは道隆の弟・道兼でした。
しかし、関白を就任して間もなく、道兼が急死してしまいます。
次の関白になったのが、道長。
藤原家で最も有名なあの藤原道長です。
実は、道隆は長男の伊周を次の関白にしたかったのですが、一条天皇の母である詮子が大反対!
詮子はすぐ下の弟で、最も仲の良かった道長を関白に推薦しました。
母を大切に思う優しい心根の一条天皇は、母の意向に従います。
こうして、藤原家の末っ子である道長は思いもよらない出世をしました。
定子の出家
強力な後ろ盾を無くした后(定子)に、遠慮はもういらない…。
道隆が存命中はためらっていた他の貴族たちが、次々と娘を入内させます。
しかし一条天皇にとって定子が最も愛する人でした。
伊周の失脚
次期関白と目されていた道隆の長男・伊周が道長と一触即発に!
そして従者同士がけんかになってしまいます。
それから数ヶ月後、今度は伊周と弟の隆家があろうことか、全天皇である花山院の一行に向けて矢を放つという暴挙に出ました。
この事件は、伊周が通っていた女性のもとに、花山院も通っていたという間違ったうわさを伊周が信じたために起こったもので、「長徳の変」と呼ばれています。
一条天皇との子を身ごもっていたために里である二条宮にいた定子は、これを聞いて絶望し、発作的に髪を切り、出家してしまいました。
一条天皇の愛
定子が出家したことを聞きながらも定子を愛し続ける一条天皇。
周囲の反対を押し切り、長徳2年(997)に長女・脩子(ながこ)内親王を出産した定子を、一条天皇は再び宮中に迎え入れたのです。
一条天皇の部屋近くに別殿を準備し、そこに定子を住まわせます。
すでに出家した后というのは異例中の異例。
天皇は人目を避けるように定子のもとへ通う日々でした。
長保元年(999)11月7日、定子は第一皇子・敦康親王を出産しました。
中宮彰子
同じ日、道長の長女・彰子が一条天皇に入内し、女御となります。
翌長保2年(1000)4月には彰子が中宮に、そして中宮定子は皇后となり、一帝二后という前代未聞の状態に!
これは、最高権力者であった道長のごり押しに、一条天皇でさえ拒否することは出来ず、わずか12歳の彰子が21歳の天皇の后として迎えられた結果でした。
この頃の道長は、権力を振りかざして何でもあり!っていうイメージ
あまりにも幼い妻に、一条天皇も戸惑いを隠せません。
夫婦とは名ばかりで、いまだ一条天皇の心は定子皇后に向いていました。
悲しい別れ
やがて定子は第3子を妊娠します。
長保2年12月、定子は媄子(びし)内親王を出産しますが、そのまま帰らぬ人となりました。
一条天皇の悲しみはどれほど深かったことでしょうか。
天皇の側近くに居た藤原行成の日記では「はなはだ悲し」と一条天皇が語ったと残されています。
最後の恋文
定子が亡くなった後、彼女の部屋の御帳に三首の和歌が書かれた文が結び付けられていたそうです。
「夜もすがら契りしことを忘れずは こひむ涙の色ぞゆかしき」
一晩中ちぎりあかしたことを、お忘れになっていないなら、(私が死んだあと)あなたが恋しがって流してくれる涙はどのような色なのでしょう。それを見とうございます)
「知る人もなき別れ路に 今はとて心ぼそくも急ぎたつかな」
知っている人が誰もいない死出の別れ路ですが、今(旅立つ)その時だと心細いまま私は急ぎ立つのですね
「煙とも雲ともならぬ身なれども 草葉の露をそれとながめよ」
私は(火葬にされることはないので)煙にも雲にもならない身ですが、草場の露が私だと思ってどうか眺めてください
『後拾遺和歌集』より
定子は出産前から自分の死を予感し、一条天皇への最期の言葉として残したのではないでしょうか。
きらびやかな宮廷にありながら、淋しく、悲しい最期を迎えた定子は、生前の希望により鳥辺野(とりべの)に土葬されました。
最愛の女性を亡くした一条天皇は、死という穢れに触れることができないため、葬儀にも参列できません。
心身と雪の降るその夜、内裏において眠れぬ日を過ごした一条天皇は、定子を思い歌を詠みました。
「野辺までに 心ひとつはかよへども 我がみゆき(御幸・深雪)とは知らずやあるらむ」
あなたの葬儀が行われている鳥辺野へ、私の心だけは通っているのだよ。いつまでも降り続く雪とともに参列している私のことを知らないまま、あなたは眠りについてしまうのだろうか。
『後拾遺和歌集』より
親王・内親王のその後
定子が残した3人の子供たちは、一条天皇の母・詮子と定子の妹に養育されます。
ほどなくして2人とも亡くなったため、敦康親王は一条天皇の中宮である彰子が、脩子・媄子領内親王は定子の実家で養育することになりました。
しかし、媄子内親王はわずか9歳で夭折。
父である一条天皇は敦康親王を次期東宮に望んでいましたが、道長に反対されたために叶わず、世を憂いた末に18歳で亡くなりました。
ただ一人残された脩子内親王は、生涯独身のまま54歳まで生きたそうです。
当時としては長寿だったのですが、母も兄妹も失い、後ろ盾もないままの淋しい人生だったのではないでしょうか。
定子皇后が眠る鳥戸野陵
定子は今、泉涌寺の少し北にある鳥戸野陵(とりべのみささぎ)に眠っています。
そこはほかの天皇后も眠っている場所ですが、めったに人が訪れないような淋しい場所です。
一条天皇は定子とは別の陵に眠っていますが、定子と同じように土葬を希望していたと伝わっています。
別々の場所で眠っている2人ですが、せめて魂だけは一条天皇とともにあることを願わずにはいられません。
定子が登場する作品
定子は清少納言を女房として置いていたこともあり、多くの平安時代小説に登場しています。
しかし、定子を主人公として描いた作品はそれほど多くありません。
こちらでは、平安時代に詳しくない方でも読みやすい小説やコミックなどを中心に紹介します。
なまみこ物語 円地文子
苦境の中でも気高く生きた定子と一条天皇との愛と道長の野望に利用される巫女(なまみこ)の悲劇が描かれた作品です。
淡々とした文調で、人によっては難しく感じるかもしれませんが、次第に物語の世界に入って行ってしまいます。
悲愁中宮 安西篤子
時の権力者の娘として、何不自由なく育った定子は、夫である一条天皇にも愛される幸せな女性でした。
ところが父・道隆が亡くなると、道長によるさまざまな陰謀が次第に定子に襲い掛かってきます。
物語は、道長に命じられて定子の側に仕えた左京という架空の女性からの視点となっていて、定子の新しい一面が見えてくる作品です。
清少納言と申します PEACH-PIT
なぎ子こと清少納言の若かりし頃から定子の下で仕える時期を描いているコミックです。
設定はとても自由で面白い!
パロディ的な要素もたくさんありますが、基本的な平安の知識が楽しく学べます。
平安時代を気軽に感じたい方におすすめ。
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