幕末

新選組

新選組最後の局長 相馬主計とはどんな人物?彼はなぜ切腹をしたのか?

徳川の時代が終わり、明治の新しい風が吹き始めた頃、元新選組隊士が人知れず切腹して果てました。彼の名は、相馬主計(そうまかずえ)、新選組最後の局長です。土方歳三に代わって新選組を任された相馬主計とは、どんな人物だったのでしょうか。そして、彼はなぜ切腹したのか。今回は、相馬主計の生涯を追ってみたいと思います。相馬主計の経歴...
新選組

新選組美男五人衆 山野八十八は本当にイケメンだった?その人物像とは?

新選組のイケメンと言えば、副長・土方歳三、原田左之助がよく知られています。しかし、彼らとは別に美男五人衆と称されていたイケメン隊士がいたのです。その中でも維新後も比較的穏やかな暮らしをしていたとされる山野八十八。今回は、山野八十八についてお話しします。山野八十八の経歴山野八十八は、天保13年(1842年)に加賀で生まれ...
新選組

新選組の美剣士・佐々木愛次郎 非業の死の真相とは?

新選組の若手隊士の中で、イケメンとして名をはせた美男五人衆。その中でも特に美男と言われていたのが、佐々木愛次郎です。しかし彼は局長芹沢鴨のために悲劇的な最期を迎えたと言われています。今回は、佐々木愛次郎にスポットを当ててみました。佐々木愛次郎の経歴と最期佐々木愛次郎は、摂津(大阪)出身の隊士で、文久3年(1863年)5...
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新選組

「隊中美男五人衆」とは?新撰組若手隊士のイケメンに注目!

「隊中美男五人衆」とは、子母澤寛氏の表した新選組3部作の3作目『新選組物語』の中に登場する若手イケメン隊士のことです。新選組の屯所だった八木邸当主(八木源之丞)の次男・為三郎氏から子母澤寛氏が取材をした話として、隊の中で評判の美男だった5人の若手隊士のエピソードが書かれています。甲乙つけがたい美男ぞろいの若手隊士とは、...
新選組

新選組で一番強い男と言われた吉村寛一郎とは?真実の姿を探る

新選組隊士として隊務に励みながら、妻子に仕送りを続け、悲惨な最期を遂げた吉村寛一郎。これは『壬生義士伝』の主人公・吉村寛一郎の姿です。あまりにも素晴らしい小説だったため、吉村という人はこの小説に出てくるような人だと思い込んでいました。ところが実際に調べてみると、あまりの違いにちょっとびっくり!ということで今日は、吉村寛...
出来事・事件解説

新選組事件簿 池田屋事件を詳しく解説! あの日何があったのか!

元治元年(1864)6月5日。京の町は祇園祭宵山で賑わっていました。祭りを楽しむ人々の中を、ある一団が粛々と進んでいきます。揃いのだんだら羽織を着た隊列、それが新選組。世間をあっと言わせる大事件を起こす直前の彼らでした。新選組を一躍有名にした池田屋事件、多くのドラマや映画、小説でも描かれた運命の一日。すでにご存じの方も...
新選組

明治を生きた新選組隊士・中島登の『戦友姿絵』に込めた思いとは?

新選組の史料によく出てくる隊士たちの錦絵を描いたのが、今回紹介する中島登(のぼり)です。新選組隊士として中島の名前が出てくるのは、大政奉還が行われた慶応4年(1867)10月頃ですが、実際はもっと早い時期から探索活動をしていたといわれています。戊辰戦争後の謹慎期間中に描かれた『戦友姿絵』に、中島はどんな思いを込めたので...
新選組

「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三の生涯  多摩から江戸そして京へ

幕府が終焉を迎える直前、突然現れて最後まで幕府のために戦った集団『新選組』新選組は、幕末に登場する多くの歴史人物の中でも少し特異な集団です。当時には珍しく身分にかかわらず入隊を許された、早くから外国の軍隊体制を取り入れていた、隊士の給料が月給制だったなどなど。なにより決められたルールを破ったら、切腹!という戦慄の掟があ...
新選組

「鬼の副長」土方歳三 その真の姿とは? 新選組結成

幕末騒乱の京の都。攘夷志士たちによる暗殺事件が頻発していた中で、京の町を警護しようと働いた新選組。たった5年の活動期間だったにもかかわらず、今の私たちに鮮烈な印象を与えています。今回は、土方歳三が新選組を作り上げ、幕末最強の武士集団に育てていくまでに注目したいと思います。土方歳三は、個人的に思い入れが強すぎるため、時に...
新選組

新選組 山南敬助の生涯 山南はなぜ新選組を脱走したのだろう

新選組といえば、あなたはまず誰を思い浮かべますか?局長の近藤勇、イケメン鬼副長土方歳三、剣の天才沖田総司。それとも?今回紹介する山南(やまなみ・さんなん)敬助は、江戸試衛館のころから近藤らとともに暮らし、新選組の結成メンバーです。ですが、ほかの初期メンバーに比べると印象が薄いようです。大河ドラマ「新選組!」では、堺雅人...