新選組

新選組の歴史がわかる!結成から終焉までを一気に解説します(年表付き)

今回は、新選組が誕生してからの約5年間を中心として紹介します。 幕末に詳しくない方にもわかりやすく、興味深い逸話も織り交ぜつつ、いつものように私の独断と偏見も入った楽しい記事になっていますので、ぜひ最後までご覧ください。 まず初めに新選組の主な歴史を年表で紹介し、後の章でそれぞれの出来事を詳しく解説しています。 新選組...
奈良時代

この人が祟らなければ今の京都はなかった⁉悲運の貴公子早良親王の生涯とは?

日本には、三大怨霊としておそれられた人々がいます。 平将門 菅原道真 崇徳天皇 しかし、この三人に勝るとも劣らないほど恐れられた人がいました。 それが、早良親王(さわらしんのう)です。 実は、早良親王の恐ろしい祟りがなければ、京に都は移されなかったのです。 ですので今の京都があるのは、早良親王のおかげだともいえるのです...
新選組

「隊中美男五人衆」とは?新撰組若手隊士のイケメンに注目!

「隊中美男五人衆」とは、子母澤寛氏の表した新選組3部作の3作目『新選組物語』の中に登場する若手イケメン隊士のことです。 新選組の屯所だった八木邸当主(八木源之丞)の次男・為三郎氏から子母澤寛氏が取材をした話として、隊の中で評判の美男だった5人の若手隊士のエピソードが書かれています。 甲乙つけがたい美男ぞろいの若手隊士と...
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新選組

明治を生きた新選組隊士・中島登の『戦友姿絵』に込めた思いとは?

新選組の史料によく出てくる隊士たちの錦絵を描いたのが、今回紹介する中島登(のぼり)です。 新選組隊士として中島の名前が出てくるのは、大政奉還が行われた慶応4年(1867)10月頃ですが、実際はもっと早い時期から探索活動をしていたといわれています。 戊辰戦争後の謹慎期間中に描かれた『戦友姿絵』に、中島はどんな思いを込めた...
新選組

新選組美男五人衆 山野八十八は本当にイケメンだった?その人物像とは?

新選組のイケメンと言えば、副長・土方歳三、原田左之助がよく知られています。 しかし、彼らとは別に美男五人衆と称されていたイケメン隊士がいたのです。 その中でも維新後も比較的穏やかな暮らしをしていたとされる山野八十八。 今回は、山野八十八についてお話しします。 山野八十八の経歴 山野八十八は、天保13年(1842年)に加...
平安時代

『光る君へ』紫式部のライバルと言われた清少納言ってどんな女性だったの?

清少納言は、平安時代の女流歌人で、随筆家で、そして天皇の后である中宮・定子の教育係を勤めた女性です。一説には紫式部とライバル関係にあったとも言われています。 ところが、清少納言が書いた『枕草子』について、学校で習ったのはあの「春はあけぼの…」という一部分だけ。あまり印象に残りませんでした。 でも大人になって改めて読んで...
新選組

新選組最後の局長 相馬主計とはどんな人物?彼はなぜ切腹をしたのか?

徳川の時代が終わり、明治の新しい風が吹き始めた頃、元新選組隊士が人知れず切腹して果てました。 彼の名は、相馬主計(そうまかずえ)、新選組最後の局長です。 土方歳三に代わって新選組を任された相馬主計とは、どんな人物だったのでしょうか。そして、彼はなぜ切腹したのか。 今回は、相馬主計の生涯を追ってみたいと思います。 相馬主...
新選組

市村鉄之助 新選組副長土方歳三を敬愛した少年隊士の儚い生涯

明治2年(1869年)夏。 1人の少年が、多摩にたどり着きました。 それは、新選組副長・土方歳三の遺品を命がけで届けに来た市村鉄之助です。 彼が、土方の姉・のぶのもとへやってきたとき、土方はすでにこの世にはいません。 ですが、彼のおかげで土方歳三の姿は、今に残ることになったのです。 今回は、幼いながら土方歳三のもとで、...
幕末~

規格外の公家 岩倉具視のエネルギッシュな人生を拝見!

『青天を衝け』では、山内圭哉さん演じる岩倉具視。 「京ことば」というより関西弁丸出しっぽい強烈なキャラクターが印象的です。 『せごどん』では笑福亭鶴瓶さん、『八重の桜』では小堺一樹さん。 これだけでも、岩倉具視の個性的な人柄がわかりそうですね。 本当のところ、岩倉具視ってどんな人だったのでしょうか。 今回は、岩倉具視の...
平安時代

朝日将軍:木曽(源)義仲 友と戦い、友と散った生涯を追う

源平合戦の先陣を切った木曽義仲。 天性の戦上手と言われながら、最後は同じ源氏である頼朝の配下の軍に敗れました。 義仲はなぜ、天下を取れなかったのか。 なぜ頼朝と戦う羽目になったのか。 本当の義仲とはどんな人物だったのか。 今回は、悲運の武将・木曽義仲の生涯を追ってみたいと思います。 木曽(源)義仲の生い立ち 義仲は、源...