山崎烝・丞(やまざきすすむ)は、新選組の探索方として活躍し、局長の近藤勇や副長の土方歳三にも信頼された人物と言われています。
しかし、探索(スパイ)が仕事だった山崎ですので、偽名を使うことも多く、新選組での活躍は、あまり表に出ていません。
でも、新選組ファンの中では、結構人気があるんですよね。
今回は、山崎烝の生涯を紹介しながら、その人気の秘密にも迫ってみたいと思います。
山崎烝の生涯
山崎烝の生い立ちは、詳しいことがわかっていません。
摂津国(大坂)の医者か薬屋の息子として生まれたとも、壬生村の針医者の息子だったともいわれています。
生年は、天保5年(1834年)ごろといいますから、近藤勇や土方歳三とほぼ同年代だったようです。
新選組に入隊したのは、文久3年(1863年)の秋頃、もしくは元治元年(1864年)春頃です。
入隊してすぐに探索方の任務にあたっていたようで、そのために入隊時期もはっきりしていないと考えられます。
池田屋事件での活躍
山崎の新選組での活動として最も有名なのは、池田屋事件での活躍でしょう。
しかし今では、この話が架空の話だったとわかっています。
実際は、池田屋事件直前に志士たちの不穏な動きを察知した新選組が、山崎はじめ探索方の島田魁らに調べさせています。
その結果、古高俊太郎を捕縛し、池田屋事件に至ることになりました。
池田屋事件の活躍により新選組は、尊攘派浪士らによる御所焼き討ち・天皇の長州への連れ去り計画を未然に防ぎ、一躍有名になったのです。
ただ、この事件への報酬を受けた隊士の中に、山崎の名がありません。
山崎とともに探索にあたった島田の名はありますし、島田が残した日記にも山崎と探索したことが記してあります。
また、永倉新八の著書にも山崎の活躍が残っています。
山崎は、探索のために偽名を使ったり変装することも多く、この時も偽名を使っていたために、山崎の名が残っていないのではないかとも考えられています。
池田屋事件以外でも、新選組内外の多くの事案に山崎が関係していた可能性は高いと思われます。
例えば、山南敬助脱走、松原忠司切腹未遂、伊東甲子太郎脱退・暗殺事件など新選組内部の事件、三条大橋高札事件などです。
尊条浪士の動きを探る以外に、同じ新選組隊士の動向にまで目を光らせるという、日々神経をすり減らすような過酷な仕事を、山崎は黙々と遂行していました。
長州での探索活動
慶応元年(1865年)11月、幕府は長州藩を探るために大目付の永井尚志が広島に派遣されます。
新選組も局長の近藤勇ら8名が随行しましたが、山崎ら探索方もこの中に含まれていました。
近藤たちほとんどの隊士は、ひと月ほどで戻ってきますが、探索方の山崎と吉村寛一郎は現地にとどまり、情報収集を続けました。
彼らが戻ってきたのは、翌慶応2年7月。
もし身分がばれれば命はないという危険な状況の中、なんと半年以上も探索をしていたのです。
これだけの仕事をしながらも、仕事の性質上彼らの活躍は多くの隊士たちに知られることはありませんでした。
しかし、近藤や土方の信頼は、とても大きなものでした。
新選組の医師
山崎は、針医者の息子(もしくは薬屋の息子)だったことから、医術の知識もある程度持っていました。
そのため新選組の中で、医師のような仕事もしていました。
慶応元年(1865年)5月。
幕府御典医であった松本良順が西本願寺にあった新選組の屯所を訪ねてきました。
屯所の中を案内された松本は、あまりの不衛生さを土方に指摘し、改善するよう指導します。
土方は、早速に松本の指導を受けたとおり屯所を改めました。
松本はまた、隊医を兼ねていた山崎に応急処置の方法や西洋医学の基本も指導します。
山崎は、激務の合間に、隊士たちの体調を気遣い、治療にあたっていたのです。
忙しい中でも山崎自身は、隊医としての仕事を喜んでいたようで、
「我は新選組の医師なり」
と言って笑っていたそうです。
山崎の最期
慶応4年(1868年)1月。
鳥羽伏見の戦いにおいて、山崎は重傷を負います。
幕府軍は大坂へ敗走し、江戸へ撤退するために新選組隊士たちは、富士山丸に乗ります。
山崎も船に乗せられましたが、江戸へ向かう富士山丸が紀州沖辺りまで来た頃に息を引き取ったと言われています。
彼の遺体は、白布で巻かれ、水葬されました。
近藤は、正装で葬儀に参列し、涙をこぼしながら追悼の言葉を述べたと伝わっています。
1月13日のことでした。
享年35歳。
鳥羽伏見の戦いで銃撃を受けて死亡したとも、大阪で亡くなったともいわれています。
山崎烝はどんな人だった?
仕事柄、隊士の中には山崎の存在に気づいていない者もいたようですが、山崎を知る人たちの話も少ないながら、残っています。
新選組の屯所となった八木邸の人々は山崎について
”身体は大きい方で背が高く色黒(色白とも?)あまりはきはきとしゃべらない”人だったと回想しています。
先ほど出てきた松本良順は、
もと医家の子なり、性温厚にして沈黙よく事に耐ゆるあり。勇の最も愛するものなりし
温厚で物静かで忍耐強い人物で、近藤にも深く信頼されていると言っています。
山崎が鳥羽伏見の戦いで傷を負い、亡くなったことを聞くと「惜しい男を亡くした」と大変残念がっています。
おそらく最も近い位置にいたであろう土方歳三の山崎評は残っていませんが、多くの難しい密命を黙々とやり遂げた山崎に対する土方の思いと信頼の深さは、山崎が最期を迎えるまで土方が側にいたらしいと伝わっていることからもわかります。
土方の隊内外の活動に欠かせなかった山崎の活躍は、史料などには残らないくても、多くの小説やドラマで描かれています。
フィクションの世界ではありますが、探索方としての山崎がさっそうと活躍するのを見るのは、いち新選組ファンとしてとてもうれしいです。
小説やドラマの中の山崎烝
山崎烝を主人公とした小説は、とても少ないです。
でも、新選組の作品にはいつも渋い脇役として描かれています。
どの山崎も魅力的なのですが、史料が少ないだけに、作者によって山崎像がかなり違ってきます。
あなたの好みの山崎さんやそれほどでもない山崎さん、その違いも楽しんでみてください。
沖田総司恋唄 広瀬仁紀
書名の通り、沖田総司が主人公ですが、山崎の出番も結構多いです。
優しくて無邪気な沖田総司、厳しくしながら結局沖田に甘い土方と源さん(井上源三郎)、それを見守る山崎という構図が素敵でほのぼのします。
子供っぽい沖田と真面目で大人な山崎のやり取りも楽しくて好きです。
土方の信頼を受けながら、陰に日向にと沖田を見守る大きな人間山崎烝を味わってください。
土方歳三散華 広瀬仁紀
こちらも広瀬仁紀さんの本で、土方歳三が主人公です。
『沖田総司恋唄』と同様に土方の信任を受けている物静かな山崎が描かれています。
ですが、土方が主人公なだけに、山崎の監察としての顔がより描かれていて、土方との信頼関係がよくわかる作品です。
例えば池田屋事件の際、探索という仕事柄、池田屋事件に対する公の褒賞には山崎の名がありません。
ですが、山崎の池田屋での活躍を誰よりも理解し、その価値を土方は知っています。
そんな土方の粋な計らいに山崎は
ついにこらえきれずに落涙し、落涙しつつ心中で叫んだ。
(土方さんの命であれば、俺はいつでも死んで見せる!)
そう思わせる土方も、山崎もかっこいいです。
池田屋異聞 『新選組血風録』 司馬遼太郎
『新選組血風録』は新選組の隊士1人ひとりに焦点を当てて描かれた全15編の短編小説です。
新選組小説としては定番中の定番ですが、山崎は複数の話に出てきます。
特に「池田屋異聞」では中心人物として描かれています。
短編なのであらすじをあまり詳しくは言えないのですが、この話で出てくる山崎は、結構陰湿な性格で、ちょっと暗いです。
司馬遼太郎さんが描く山崎烝は、出番はそう多くないけど『燃えよ剣』の方が私は好きです
銀魂 空知英秋
坂田銀時、桂小太郎、高杉晋助そして真選組が登場する人気コミックです。
私自身は、アニメの方が好きなんですが、どちらにしても楽しめること間違いなし、幕末好きなら余計に!
真選組のメンバーの山崎退(さがる)が、まさに山崎烝と同じ監察です。
でも抜けまくっている残念な(でもなんか癒される)キャラ。
ちょっと変則的ですが、私の大好きなコミック(アニメ)なので紹介しました。
終わりに
今回は、新選組隊士 山崎烝を紹介しました。
控えめで、それでいて確実な仕事をする、現代にいたら超優秀なスパイになっていたかも。
いや逆にすごく優秀で優しいお医者さんかもしれません。
そんな想像をさせてくれる山崎さんでした。
新選組にはまだまだ多くの魅力ある隊士がいます。
史料の少ない人も多いのですが、これからもできるだけ多くの隊士を紹介していきますので、ご期待くださいね。
コメント