2020年の大河ドラマ「麒麟がくる」では、向井理さんが演じる足利義輝。室町幕府13代目の将軍です。
と言っても、ピンとこない人が多いのでは?
室町幕府は、15代目の将軍足利義昭の時代に、織田信長によって終わることになりますが、義輝は義昭の1つ上の兄です。
教科書に出てくることもありませんので、あまり知られていませんが、実はすごい人だったんです!
今日は、足利義輝についてその生涯や人となりなどをわかりやすく紹介します。
是非最後までお読みくださいね。
足利義輝の生涯はジェットコースターのようだった
足利義輝は1536年に京都の南禅寺で生まれました。
幼名は、菊童丸。
12代将軍足利義晴の嫡男でしたが、そのころの将軍家は、8代将軍義政の時代に起きた応仁の乱が原因で失墜した権威が取り戻せないままのボロボロな状態でした。
将軍家の権威復活を目指す義晴・義輝親子だが・・・
将軍家の威光を取り戻そうと、あがいてきた将軍たちの努力もむなしく、義輝の父義晴の時も、まだ将軍家の地位は揺らぎ続けていました。
実権を握っていたのは、幕府のナンバー2である管領の細川晴元でした。
義晴は、将軍としての実権を復活するために何度も細川家と争いましたが、負けてしまい、近江国坂本(滋賀県大津町)へ逃げてしまいます。
1546年、義輝は、父から将軍職を譲られ、13代将軍となると同時に、元服し名を義藤とします。
その2年後、父と細川晴元が和解、義輝は将軍として京へ入り、細川晴元ともに政治を行おうとします。
しかしそれを阻む人物が現れます。
細川晴元の家臣三好長慶です。
長慶は、晴元との関係が悪化していて、晴元の同族細川氏綱と共に晴元を攻めてきました。
晴元と和睦していた義輝もその争いに巻き込まれ、再び父と共に近江へ逃げなければならなくなります。
父は近江の地で無念のうちに亡くなります。
義輝は、まだ15歳でした。
父の無念を晴らすべく執念で何度も立ち上がる義輝
義輝は、父の無念を晴らすために、長慶暗殺を謀りますが、失敗してしまいます。
何度も長慶に戦いを挑みますが、力及ばず劣勢に立たされます。
義輝の近江での生活は、5年以上続きます。
義輝は父とともに世話になっていた六角氏を頼り、再度三好氏に挑みますが、どうしても勝つことができませんでした。
ですが、やっと義輝にも少しだけ運が巡ってきます。
六角義賢が仲介して、三好氏との和睦が成立したのです。
三好長慶の息子をお供衆(将軍の側近)にすることなどにより、三好氏の勢力は依然として大きいままではありますが・・・。
晴れて京に戻ってきた義輝は、三好氏を警戒しながらも、各地の大名との親交を深め、親政を行っていきました。
義輝の親政復活への努力
義輝は、幕府の権威を回復しようと、争いの絶えない戦国大名たちを調停しまくります。
- 上杉謙信と武田信玄
- 伊達政宗の祖父晴宗と曽祖父稙宗
- 徳川家康と今川氏真(今川義元の子)
- 毛利元就と大友宗麟
- 島津貴久と大友宗麟
- 北条氏康と里見義堯(よしたか)
また義輝は、自身の名の一字を多くの武将に与えています。
これを『偏諱(へんき)』と言い、将軍としての権威を利用した親政の一つです。
上の者から下の者へ偏諱を与えるという事は、主従関係を結んだ証になったのです。
義輝は、偏諱によって将軍としての自分の力を示そうとしました。
偏諱を与えられた武将のはこのような人たちです。
義輝の「義」
島津義久・朝倉義景・島津義虎・武田義信・最上義光など15名以上
義輝の「輝」の字
伊達輝宗(政宗の父)・上杉輝虎(のちの上杉謙信)・毛利輝元など約30名
義輝は、様々な方法で自らの将軍としての権威を高め、幕府の実権を握ろうとしていました。
そんな時、義輝に大チャンスがやってきます!
義輝の時代がついに?!
まず、義輝と父の義晴を長年苦しめていた三好長慶の弟が、六角氏と畠山氏に攻められ戦死します。
次いで、長兄の嫡男が病死します。長兄はそのショックもあり、次第に弱ってゆきます。
1564年、三好長慶急死去。
ついに、義輝は真の将軍になるのです!
と思ったのもつかの間、長慶の跡を継いで三好家家臣松永久秀・久通と三好三人衆と呼ばれる重臣たちが、幕府の実権を握ろうとしてきました。
義輝は、松永久秀と三好三人衆が要請してきた、足利義栄(よしひで:義輝の従弟)の新将軍就任を拒絶する一方、武田信玄や上杉謙信に上洛するように言います。
これに気づいた松永たちは、義輝が邪魔になってきます。
そして・・・。
永禄の変 勃発
1565年5月19日
義輝のいる二条御所が突然1万もの兵に囲まれます。
松永久通と三好三人衆が率いる軍でした。
異変に気付いた義輝ですが、側近わずか30名あまりで1万の大軍に対抗できるわけがありません。
主従ともども覚悟を決めると、大軍へ向かいます。
数十人を討ち取るほどの奮戦をしたものもいましたが、多勢に無勢、側近は全て討ち死にします。
そして義輝は、自ら薙刀をふるい、応戦します。
義輝は、剣聖塚原卜伝に師事し、奥義を伝授されていたほどの剣の達人、人生の最期にその技を思う存分ふるったことでしょう。
足利義輝、享年わずか30歳。無念の死でした。
義輝の実母慶寿院は、自害。
義輝の子を身ごもっていた側室は殺されます。
また、僧侶だった義輝の実弟も殺されてしまい、唯一残ったのが、後の15代将軍義昭でした。
松永と三好三人衆は、義栄を14代将軍としますが、この後は義昭との争いが始まります。
この混乱に乗じて、天下を狙ってくるのが織田信長なのでした。
逸話から見えてくる義輝
足利義輝は、剣豪として名をはせていた塚原卜伝の指導を受けていた直弟子の一人と言われています。
宣教師ルイス・フロイスの『フロイス日本史』の中では、
「とても武勇すぐれて、勇気ある人だった」
と評されています。
永禄の変の際も
自分の周りに太刀を何振りも刺しておき、斬れなくなると次の太刀、そしてまた次と、敵を切り続けた
という伝説が残っています。
義輝のあまりの強さに、松永・三好軍は、義輝の周囲に畳を立てて、押し包んでから刺殺したとも言われています。
塚原卜伝を師事した武将には、義輝以外にはこんな人たちがいます。
- 山本勘助 武田信玄の軍師
- 上泉信綱 後に徳川将軍家の兵法指南役となる柳生宗矩を弟子に持つ
- 細川藤孝(幽斎) 細川忠興〈ガラシャの夫)の父
- 成田長泰 武蔵国忍城(おしじょう)城主:『のぼうの城』主人公成田長親(野村萬斎演)の伯父
ちなみに、義輝が最期にふるった刀は、平安後期に源頼光が愛宕山の鬼を退治した時に使った刀、通称「鬼切り丸」だったという伝説があります。
義輝辞世の句
屋敷を大軍に囲まれ、側近たちと別れの杯を交わしたとき、義輝は辞世の句を詠んでいます。
「五月雨は 露か涙か 不如帰(ほととぎす) 我が名をあげよ 雲の上まで」
しとしと降り続く五月雨は、ただの雨か、無念の思いを残して死んでゆく私の涙なのか。ホトトギスよ、誇りを持って戦い、死んでゆく私の名前を、雲の上までどうか届けてくれ
足利将軍としての誇りを持ち、闘い続けた義輝の短くも鮮烈な人生ですした。
義輝の死後、室町幕府は織田信長の台頭により、滅亡してゆきます。
もし、義輝の生まれた時代がもう少し早ければ、
もし、義輝が将軍ではなく、一人の武将として生まれていたら、
もし、義輝が生き残っていたら・・・。
剣豪として、将軍として、懸命に生き抜いた義輝だからこそ、いろいろな「もし」を考えてしまいます。
義輝ゆかりの場所
義輝が生まれたのは、京都の南禅寺です。
京都五山の上に位置づく別格のお寺です。
義輝にちなんだものは残っていませんが、その勇壮な姿は一見の価値があります。
三好氏に攻められ大津の坂本に逃れた義輝は、度々朽木谷という山間の朽木荘:岩神館にも延べ8年間ほど滞在しています。
義輝は、この朽木荘で幕政を行っています。
岩神館は、道元禅師が、伏見深草の興聖寺のような絶景が見事な土地だという事で建立した興聖寺が始まりと言われています。
興聖寺の中には、義輝の父義晴を慰めるために、縁ある武将たちが京都の銀閣寺の庭園を基にして作庭した庭園(足利庭園)があります。
高島市朽木の興聖寺。戦国時代に京都を逃れてきた足利将軍のために作られたという庭園が、国の名勝に指定されている。 pic.twitter.com/jh45sqccM7
— 片岡進矢 (@okashin758) May 20, 2023
永禄の変の現場は、二条御所です。
ですが、今の二条城ではありません。
平安女学院のあたり、上京区武衛陣町にありました。
旧二条城、足利義輝邸跡です。 #京都遠征 #旧二条城 #足利義輝 #三日月宗近 #ここに在った pic.twitter.com/G8NWNdnHWf
— 風小町@石見国 (@kazekomachi7777) June 23, 2018
現在は、『此付近 斯波氏武衛陣 足利義輝邸 遺址』という石碑だけが残っています
等持院には、歴代室町幕府将軍の木像が安置されています。
義輝の木像ももちろんあります。
義輝のお墓は、山口県山口市の俊龍寺にあります。
弟で15代将軍の義昭、母の墓と共に、豊臣秀吉の供養墓が並んでいます。
まとめ
今回は、室町幕府第13代将軍足利義輝の生涯を紹介しました。
義輝は、メジャーな歴史には、ほとんど出てこない人で、たった30年の生涯でしたが、知れば知る程興味深い人物です。
大河ドラマでは、
- 「天と地と」1969年
- 「国盗り物語」1973年
- 「信長 KING OF ZIPANGU」1992年
- 「功名が辻」2006年
と、度々登場しています。
2020年の「麒麟がくる」でも向井理さんが悲運の剣豪将軍義輝を演じていました。
最期のシーンはとても切なくてつらくなりました。
これからも義輝が登場するドラマがあることを楽しみにしましょう(でも最期はいつも悲しい…)
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