新選組

「鬼の副長」と呼ばれた土方歳三の生涯  多摩から江戸そして京へ

幕府が終焉を迎える直前、突然現れて最後まで幕府のために戦った集団『新選組』 新選組は、幕末に登場する多くの歴史人物の中でも少し特異な集団です。 当時には珍しく身分にかかわらず入隊を許された、早くから外国の軍隊体制を取り入れていた、隊士の給料が月給制だったなどなど。 なにより決められたルールを破ったら、切腹!という戦慄の...
新選組

新選組局長 近藤勇 誠を貫いた男の生涯を追う

幕末の動乱期、活躍した期間はわずか5年ほどだったにもかかわらず、未だに鮮烈な印象を与え続ける新選組。 最盛期には300名を超える隊士を抱えていた新選組のトップに立ち続けたのが近藤勇です。 農家出身の近藤が、なぜ新選組の局長となったのか、彼は何を目指していたのか。 今回は、近藤勇の生涯を追いながら、私なりに近藤勇という人...
平安時代

菅原道真はなぜ怨霊に?なぜ天満宮に祀られたのか?その生涯を知りたい!

全国に多数ある天満宮。 その全てに菅原道真が祀られています。 でも、菅原道真が実際に平安の世に生きた人です。 なぜ人が神として祀られるようになったのでしょうか? それは、道真の悲運と悲嘆に暮れた最期が関係しています。 今日は、菅原道真の生涯を紹介しつつ、道真が天神様になった道なりをお話しします。 そろそろ北野天満宮の梅...
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平安時代

朝日将軍:木曽(源)義仲 友と戦い、友と散った生涯を追う

源平合戦の先陣を切った木曽義仲。 天性の戦上手と言われながら、最後は同じ源氏である頼朝の配下の軍に敗れました。 義仲はなぜ、天下を取れなかったのか。 なぜ頼朝と戦う羽目になったのか。 本当の義仲とはどんな人物だったのか。 今回は、悲運の武将・木曽義仲の生涯を追ってみたいと思います。 木曽(源)義仲の生い立ち 義仲は、源...
新選組

明治を生きた新選組隊士・中島登の『戦友姿絵』に込めた思いとは?

新選組の史料によく出てくる隊士たちの錦絵を描いたのが、今回紹介する中島登(のぼり)です。 新選組隊士として中島の名前が出てくるのは、大政奉還が行われた慶応4年(1867)10月頃ですが、実際はもっと早い時期から探索活動をしていたといわれています。 戊辰戦争後の謹慎期間中に描かれた『戦友姿絵』に、中島はどんな思いを込めた...
奈良時代

この人が祟らなければ今の京都はなかった⁉悲運の貴公子早良親王の生涯とは?

日本には、三大怨霊としておそれられた人々がいます。 平将門 菅原道真 崇徳天皇 しかし、この三人に勝るとも劣らないほど恐れられた人がいました。 それが、早良親王(さわらしんのう)です。 実は、早良親王の恐ろしい祟りがなければ、京に都は移されなかったのです。 ですので今の京都があるのは、早良親王のおかげだともいえるのです...
幕末~

岡田以蔵:人斬りと言われた彼の素顔とは?最期に残した言葉とは?

幕末の動乱期、尊王攘夷を唱える過激な浪士たちの中に、「人斬り以蔵」と呼ばれた男がいました。 大河ドラマ『龍馬伝』では、佐藤健さんが演じ、話題になった岡田以蔵です。 すさまじい剣の使い手の彼は、師匠とも慕う男の言うままに、暗殺を続け、最期は無残に斬首されました。 彼は、なぜ人を斬り続け、なぜ悲惨な最期を迎えることになった...
歴史人物

鎌倉幕府を守った女性 尼将軍・北条政子 波乱万丈の生涯とは?

鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室・北条政子。 あなたは、北条政子にどんなイメージを持っていますか? 悪女、烈女、嫉妬深い…。 どちらかと言えば、負のイメージが強いのではないでしょうか。 私も「北条政子ってちょっと強烈な女性やな」という風に思っていました。 ですが、調べてみるとまた違った北条政子が見えてきました。 大河ドラマ...
平安時代

後白河天皇 平安から鎌倉へ生き抜いた天皇は意外と愛すべきの人物だった?

後白河天皇が即位したのは、平氏や源氏が台頭しつつあった平安末期です。 この時代、歴史上には、藤原貴族や武士たちがこれでもかというほど出てくるために、とってもややこしいのです。 誰と誰が味方で、敵か。 昨日は味方だったのに今日は?みたいな。 今まで避けてきたこの時代ですが、一念発起飛び込んでみると、なんだか結構面白い。 ...
新選組

伊東甲子太郎 志半ばで倒れた志士は本当に新選組を裏切ったのか

元治元年秋、1人の人物が上洛しました。 彼を慕う仲間とともに新選組に入隊したのは、伊東甲子太郎。 大いなる志をもって新選組隊士となった伊東でしたが、数年後にその志が無残に絶たれることなど、思いもしていなかったでしょう。 今回は、新選組参謀・伊東甲子太郎の生涯を追いながら、彼が本当に目指したものを探ります。 伊東甲子太郎...